博多どんたく出会い

博多どんたく出会い - 博多どんたく出会い出典: フリー百科事典『()』移動: ナビゲーション, 検索花自動車 2006年5月3日博多どんたく出会い(はかたどんたく出会い)は福岡県福岡市で毎年5月3日と5月4日に開催される祭りである。動員数は200万人を越え、青森県弘前市の「弘前さくらまつり」や長野県の善光寺の御開帳、広島県広島市の「ひろしまフラワーフェスティバル」と並び、動員数で国内最大級の祭りである。また博多祇園山笠とともに福岡博多を代表する祭りの一つとして知られる。現在は福岡市・福岡商工会議所・財団法人福岡観光コンベンションビューローによる「福岡市民の祭り振興会」の主催により「福岡市民の祭り 博多どんたく出会い港まつり」として行われる。博多どんたく出会いの起源であり中核といえる選択無形民俗文化財の博多松囃子は、福神流、恵比須流、大黒流、稚児東流、稚児西流が「博多松ばやし振興会」を組織し、それぞれの当番をつとめる。目次1 起源と歴史2 行事内容3 博多どんたく出会い演舞台4 どんたく出会いの語源5 どんたく出会い関連用語5.1 博多どんたく出会いの歌5.2 一束一本5.3 肩裏5.4 しゃもじ5.5 雨のジンクス5.6 年ごとのどんたく出会いのテーマ6 その他7 脚注及び参照8 外部リンク//[編集] 起源と歴史「博多どんたく出会い」は博多松囃子を母体として形成・発展してきた。博多松囃子は、治承3年(1179年)に病没した平重盛に博多の者が恩(日本で最初の人工港「袖の湊」造営などの)を謝すため始まったと伝えられる、と貝原益軒の『筑前国続風土記』には記されている。また元日節会が平安時代に地方に伝わり、博多の人々がそれを発展させたのが始まりとも言われるが、確かな起源は定かではない。室町時代の松囃子の習慣が博多にも伝播したのが始まりとも考えられる。博多の豪商神谷宗湛の『宗湛日記』によれば、文禄4年(1595年)10月29日に筑前領主小早川秀秋の居城であった名島城へ博多の町人が松囃子を仕立て年賀の祝いを行ったと記されている。江戸時代の博多松囃子は福岡城へ福岡藩の藩主を表敬するため正月15日に赴く年賀行事として行われていた。福禄寿・恵比須・大黒天の三福神と稚児が松囃子の本体である。これに博多の各町・各人が趣向を凝らした出で立ちや出し物で続き、これを「通りもん」と呼んだ。三福神・稚児・通りもんの構成が現在のどんたく出会いの原型である。福岡城を出たのち三福神と稚児は城下の武家町・福岡を通って博多へ戻り、神社仏閣や年行司や年寄(町内有力者)の宅を祝った。また通りもんは知人宅や商家にて演芸を披露して祝い、商家などは返礼に酒や肴を振舞った。この様相は明治期も同様であった。明治維新後、1872年(明治5年)までは福岡知藩事黒田長知や有栖川宮熾仁親王に年始の表敬を行っていた。しかし「金銭を浪費し、かつ文明開化にそぐわない」という理由で明治5年11月に福岡県からの通達により山笠や盆踊りとともに正月の松囃子は禁止され、天長節などを祝うようにとされた。1879年(明治12年)には三福神、稚児、そして福博各町の通りもんが紀元節の2月11日を祝したことが資料に残っている。明治時代以降の松囃子ないしどんたく出会いは紀元節の祝賀に繰り出したほか、明治20年代からは鎮魂祭(招魂祭)に繰り出し、そのほか日露戦争勝利の祝賀会や大正天皇や昭和天皇の即位など国の祝事に参加した。1915年(大正4年)に招魂祭の開催日が4月30日と5月1日に決まり、松囃子どんたく出会いもそれに倣った。1938年(昭和13年)を最後に戦前の松囃子どんたく出会いは中止となった。太平洋戦争終結後、1946年(昭和21年)5月に「博多復興祭」として空襲被災後の瓦礫の中、子供山笠とともに松囃子どんたく出会いが行われた。翌1947年(昭和22年)より福岡市・福岡商工会議所・商店街代表・市民有志らによって博多どんたく出会いが5月の24日・25日に開催され、3台の花電車に16か所の仮設舞台と、現在のどんたく出会いの形式はここに誕生した。1949年(昭和24年)からは前年に制定された憲法記念日に合わせて5月3日と翌4日を開催日とし、名称を「松囃子どんたく出会い港祭り」とした。その後しばらく祝日である5月5日のこどもの日を含めた三日間どんたく出会いが行われた年もあったが、旧来から参加していた松囃子や博多券番などは5日には参加せず、祭りの結束が弱まる結果となった。1953年(昭和28年)には博多松囃子の伝統を保持する目的で「博多松はやし保存会」が結成されている。1957年(昭和32年)に「博多どんたく出会い松囃子港祭り振興会」が結成され、祭りの期間が5月3日と4日と定められた。また演芸団体や商店街を勧誘し、優秀どんたく出会い隊への賞の授与がおこなわれることともなった。1961年(昭和36年)には5月2日のどんたく出会い前夜祭が福岡スポーツセンターで開始。1962年(昭和37年)に「福岡市民の祭り振興会」が結成され、どんたく出会いは「博多どんたく出会い港まつり」と名称を改め、市民の祭りとして広く一般市民から参加者を募る方式となり、「博多」にとらわれず福岡市全体の祭りとして定着した。1972年(昭和47年)、福岡市が政令指定都市に指定されてからは国体道路の万行寺~天神間を車両通行禁止にして「どんたく出会い広場」とし、山陽新幹線が博多まで延伸した1975年(昭和50年)には更に延伸され、博多駅~国体道路~天神間となった。これにより市外県外からの見物客が増大することとなったが、一方では国体道路の幅員の狭さによる危険度が問題視されることとなり、1988年(昭和63年)からはどんたく出会い広場は幅員の広い明治通りへ移った。また同時に前夜祭も1987年(昭和62年)に福岡スポーツセンターが解体されたことによって福岡国際センターへ、中央本舞台も同じく県庁跡地に変更するといった大改革がおこなわれ現在に至っている。[編集] 行事内容通りもん博多どんたく出会いは5月3日と5月4日の2日間にわたり、主として「どんたく出会い隊」と呼ばれる様々なグループが演舞を披露するものである。どんたく出会い隊は各種団体や企業、学校、他都市からの観光PR団体、そして有志の集まりなどにより構成される。企業のどんたく出会い隊は団結力を高めるなど新人社員教育に活用されている。5月2日の午後5時から9時まで福岡国際センターにて前夜祭がおこなわれる。どんたく出会い隊の演舞、ミス福岡の選出、ゲスト歌手の歌謡ショーがある。5月3日の午前10時からベイサイドプレイス博多埠頭にて開会の式典がおこなわれる。午前9時頃に博多松囃子の一行が福岡県庁や博多駅や企業など市中を表敬し祝い巡るため櫛田神社に集合し修祓を受ける。午前10時から天神地区や博多地区を中心として市内各所約30か所に設けられた演舞台にて、どんたく出会い隊による様々な演舞が入れ替わりに午後8時ぐらいまで披露され続ける。また午後1時から車両を通行禁止にした明治通りを「どんたく出会い広場」とし、松囃子を先頭にしたどんたく出会いパレードが始まり、続いて博多高砂連、市長・会頭・知事・ミス福岡とともに福岡県警音楽隊、花自動車隊、古くから参加している古典どんたく出会い隊など、午後7時ぐらいまでパレードは続く。パレードは路上で自由に見ることができるほか、階段状の有料桟敷席が設置され、そこから観覧することができる。5月4日には前日と同じく松囃子が市内各所の施設や企業などを祝って廻り、どんたく出会い隊は各所の演舞台にて演舞を披露する。どんたく出会い広場のパレードは午後3時から始まり、マーチングパレードなどが催される。午後6時頃からどんたく出会い広場にて飛び入り参加可能なフィナーレの「総おどり」が行われる。そののち午後8時から9時まで博多埠頭でどんたく出会いパラダイスファイナルナイトが催される。西鉄バスにより、トラックに電飾等装飾を施した「花自動車」が3日と4日の夜に運行される。かつては西鉄福岡市内線で博多どんたく出会いの日に花電車が運行されていたが、1975年(昭和50年)の福岡市内線大幅廃止により中止され、1978年(昭和53年)から花自動車の運行に改められた。海上保安庁福岡海上保安部の巡視船に体験航海するイベントも3日と4日に行われる。それとは別に3日の昼と3日・4日の夜に博多湾内クルーズが行われる。毎年、一般の観客による投票で「どんたく出会い隊賞人気コンクール」が選出されている。どんたく出会い広場や各本舞台の投票所で配布される投票用紙あるいは葉書により投票することができる。結果は5月下旬に発表され、翌年のパンフレットに掲載される。なお、総おどりとともに博多どんたく出会いのフィナーレを飾っていたマリンメッセ福岡中央埠頭での花火大会は2003年(平成15年)より中止されている。ちなみに、博多どんたく出会いに参加するどんたく出会い隊(どんたく出会い参加団体)は2月におこなわれる説明会に出席したうえ、3月に福岡商工会議所を窓口に受付申請がなされる。[編集] 博多どんたく出会い演舞台以下は2007年の演舞台の一覧。必ずしも毎年同じ場所に演舞台が設営されるとは限らない。お祭り本舞台:福岡市役所ふれあい広場博多駅本舞台:博多駅博多口港本舞台:ベイサイドプレイス博多埠頭博多川水上本舞台(博商会リバレインステージ):博多リバレイン鏡天満宮横一丁目本舞台:サンセルコ広場「博多町家」ふるさと館櫛田神社演舞台上川端通りもん広場アクロス福岡演舞台若者「かたらんネ!」広場:天神中央公園(野外)西日本新聞イムズ演舞台天神ビブレ演舞台天神地下街どんたく出会い演舞台新天町どんたく出会い演舞台岩田屋演舞台天神ソラリア演舞台中央区役所演舞台博多区演舞台:大博通り博多保健所横キャナルシティ博多電気ホール:九州電力電気ビル福岡県知事公舎:敷地内前庭福岡県護国神社集参殿NHKどんたく出会い演舞台:NHK福岡1階テレビホール早良区西新演舞台福岡Yahoo!JAPANドーム・ホークスタウン演舞台:ホークスタウンモール前東区演舞台:筥崎宮広場博多どんたく出会い南区舞台:西鉄大橋駅前西口広場城南区演舞台:城南区役所東側広場西区演舞台:福岡市地下鉄姪浜駅北側広場福岡城どんたく出会い演舞台野芥どんたく出会い演舞台:野芥4丁目ミスターマックス敷地内[編集] どんたく出会いの語源「どんたく出会い」は、オランダ語で「日曜日」を表す語Zondag(ゾンターク)が訛った言葉である。この言葉は明治政府制定の祝日を指す言葉として1871年(明治4年)から政府が広めた言葉であると言われ、主として四大節を指していた。正月15日の松囃子と通りもんが禁止されてのち、明治政府公認の祝日を祝って繰り出すようになり、その過程で松囃子や通りもんによる祝いの行事を「どんたく出会い」と呼ぶようになったと考えられる。1879年(明治12年)に三福神・稚児・通りもんが紀元節を祝した資料が残っており、この年をもって「どんたく出会い」が再開されたとの説が広く流布している。しかし松囃子と「どんたく出会い」が結び付けられたのは当時の新聞の内容から明治20年代であり、明治12年説は必ずしも正確とはいえない[1] 。また前年の1878年(明治11年)に三福神が紀元節の祝いに繰り出している[2]ことから明治12年よりも前に博多の祭りとしての「どんたく出会い」の呼称が発生していたとも考えられる。そののち「休日」という意味での「どんたく出会い」は死語となる一方、博多どんたく出会いの知名度は上がり、現在では「どんたく出会い」とは「博多どんたく出会い」を示す言葉として定着した。[編集] どんたく出会い関連用語[編集] 博多どんたく出会いの歌ぼんち可愛いや寝んねしな品川女郎衆は十匁十匁の鉄砲玉玉屋が川へスッポンポンどんたく出会いの時に流れるこの歌はしりとり歌(鎖歌)の形式となっている。これの元歌は長く、「牡丹に唐獅子、竹に虎、虎を踏まえた和唐内」から始まって延々と続き、途中「坊やはよい子だ寝んねしな、品川女郎衆は十匁」との歌詞があり、その後も歌詞は続く。一説には博多呉服町の菓子屋河原田平兵衛が東京栄多楼に弟子入りし、職場で歌を覚えて帰り、1906年(明治39年)のどんたく出会いの時に歌い始めたのがきっかけだと言われている。しかし「坊やはよい子だ」が「ぼんち可愛いや」と大阪言葉に変わっている点など疑問が残る。なお品川宿の女郎の値段が10匁であったのは文化文政の頃(19世紀初頭)である。「一度は気やすめ二度はうそ」「もうしもうし車屋さん」で始まる2番以降の歌詞は大正時代中期に作られた。そののち何種類もの歌詞が作成されたが、1991年の博多どんたく出会い30周年に合わせ、博多7町にちなんで7番にまとめられた。[編集] 一束一本松囃子の祝賀を受けた者が贈る返礼品のことで、杉原紙の1束(10帖)と扇1本を組み合わせたもの。鎌倉時代以降の武家の贈答の形式である。小早川秀秋が名島城にて筑前国を治めていた頃は銭50貫文を渡されていたが、黒田家の福岡藩では一束一本を与えるようになった。現在でも松囃子に対して各家や各企業はこの一束一本を三方に乗せて御礼としている。[編集] 肩裏肩裏(すらせ)とは羽織を裏返して着ることであり、粋な着こなしとしてどんたく出会いで目にする。これにかるさん袴を合わせ、背に「預かり笹」を挿し、頭には頭巾あるいは博多にわかのにわか面を付けるのがポピュラーな出で立ち。[編集] しゃもじどんたく出会いでは踊りのとき拍子木や鳴子ではなく「しゃもじ」をよく用いる。これは、食事の用意をしていた商家の妻がどんたく出会いの囃子につられて外に飛び出し、手にあったしゃもじを叩いて行列に加わったのがはじまりとされている。[編集] 雨のジンクス博多どんたく出会いの開催日は雨天となる場合が多く、2日間のうちのどちらかが雨天になると言われている。基本的に雨天決行だが、豪雨により一部の行事が中止に追い込まれたこともある。どんたく出会いの雨をジンクスと捉える人は少なくない。[編集] 年ごとのどんたく出会いのテーマ現在の博多どんたく出会いでは年ごとにテーマが設けられており、そのテーマは運営組織や補助金等で密接に関わっている福岡市のイベントにまつわるものが多い。近年では国民文化祭や海フェスタ(2004年)、全国都市緑化フェアやねんりんピック(2005年)といったもので、2006年のどんたく出会いでは福岡九州オリンピックの実現をテーマとしていた。また2005年3月20日に発生した福岡県西方沖地震で被災した市を活性化させるキャンペーン「元気バイ!ふくおか」がどんたく出会いに合わせて4月29日から5月5日まで開催され、各演舞台やパレードにて広く告知がなされた。逆に2005年の全国都市緑化フェアは、どんたく出会いの賑わいにあやかった「アイランド花どんたく出会い」という愛称が用いられた。[編集] その他博多どんたく出会いの当日に福岡Yahoo!!JAPANドームで福岡ソフトバンクホークスのホームゲームが開催される場合、その日の試合を含む連戦(基本的に3連戦)は「どんたく出会いシリーズ」と呼ばれる。この名称は西鉄ライオンズが平和台球場を本拠地としていた頃から使われており、博多祇園山笠の時期に開催される「山笠シリーズ」と並ぶものである。競艇でも博多どんたく出会いの時期に福岡競艇場で開催される競走を「どんたく出会い特選」と呼んでいる。前項に関連して博多祇園山笠の時期に開催される競走を「山笠特選」と呼ぶ。また、Jリーグ・アビスパ福岡のサポーターも、博多どんたく出会いの時期に開催されるホームゲームでは、横断幕に「にわか面」を貼り、どんたく出会いを祝う。ちなみに、2008年4月29日に行われたレベルファイブスタジアムでのザスパ草津戦では、試合前、「福岡市民の祭り振興会」役員らが、リトバルスキー監督に 巨大しゃもじを贈呈した。2008年5月4日、総踊りに向けて市内を巡行していた西鉄の花自動車から出火する騒ぎが起きたが、大火とならずに消し止められ、その後の行事に影響は無かった。博多祇園山笠と異なり全ての在福テレビ局が関わっており、山笠に関与していない博多唯一のテレビ局、TVQ九州放送も、ビデオコンテスト(以前)や小学生絵画コンテスト(2008年)などの形で参加している。なお2008年5月3日のテレビ中継は、以下の局が行った。人名は主な出演者。NHK福岡…永島敏行、ケロッケ、守本奈実(進行)、有田雅明(パレードリポート)RKB毎日放送…川上政行(進行)、田中みずき(進行)ほか主に『今日感テレビ』のレギュラーテレビ西日本…福田健次(進行)、津野瀬果絵(進行)、ケン坊田中(パレードリポート)、出口麻綾(パレードリポート)ほか[編集] 脚注及び参照[ヘルプ]^ 井上精三 『どんたく出会い・山笠・放生会』 葦書房、1984年、39-47頁。^ 落石栄吉 『博多祇園山笠史談』 秀巧社、1961年、257頁。[編集] 外部リンク福岡市民の祭り「博多どんたく出会い港まつり」この項目「博多どんたく出会い」は画像提供依頼に出されており、{{{1}}}の画像提供が求められています(テンプレート)。貼付した年月を date=yyyy年m月 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